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都立動物園マスタープラン (東京都サイトへ)

上野動物園の歴史

 上野動物園は、1882(明治15)年に農商務省所管の博物館付属施設として開園した、日本で最初の動物園です。1886(明治19)年には宮内省所管になり、1924(大正13)年には皇太子殿下(昭和天皇)のご成婚を記念して、東京市に下賜されました。
 第2次大戦中には、猛獣処分と呼ばれる悲しい出来事がありましたが、これまで上野動物園は「生きた博物館」として世界各地から集まったさまざまな動物を展示してきました。
 また、都立動物園でありながら、日本を代表する動物園としても機能しており、1972(昭和47)年には、日中国交回復を記念しジャイアントパンダが来園し、大変なにぎわいを見せました。
 上野動物園は、多くの動物において繁殖に成功しており、その長い年月で培ってきた飼育技術を活かして、様々な動物の魅力的な展示に取り組み、また多くの方々に楽しんでいただきながら、野生生物保全の重要性を伝えています。

▲1907年ごろの正門

  • 1.明治から大正へ
  • 2.大正の終わりから昭和のはじめ頃
  • 3.戦中と戦後
  • 4.創立70周年祭から大水族館開館まで
  • 5.大改造計画の進行とパンダの来園
  • 6.100周年以降

1.明治から大正へ ── 宮内省の博物館のもとで

 1882(明治15)年、上野公園に博物館が開かれ、その付属施設として上野動物園は開園しました。この博物館は、ウィーンの万国博覧会へ出品するために日本全国から集められた物産を、一般の人々の「開智」のために公開されたのがはじまりであったので、動物園に集められたものも日本産の動物が主体でした。さらにその所管が農商務省であったために、「勧業奨励」に力が入れられ、家畜が展示に加えられました。
 1886(明治19)年に宮内省所管となってからは、トラをはじめ外国産の珍しい動物が集められました。また、外国の王室からの贈物や、日清日露両戦役での戦利品などが宮内省に献上され、数多くの動物が展示されるようになりました。

西暦年号おもな出来事
1882明治15年3月20日、博物館附属の動物園として開園。面積1ヘクタールほど。所管は農商務省。9月、日本最初の水族館、観魚室を公開。「うをのぞき」として親しまれた。
1886明治19年所管が宮内省になる。
1887明治20年イタリアのチャリネ曲馬団より、神田・秋葉原で興行中に生まれたトラを、ヒグマと交換で入手。初来園。
1888明治21年清国より贈られたシフゾウ(四不像)来園。シャム皇帝より贈られたアジアゾウのペア初来園。
1890明治23年このころより園内に洋燈(ランプ)がつく。
1895明治28年日清戦争の戦利品として、フタコブラクダが到着。初来園。
1898明治31年オランウータン初来園。
1900明治33年オーストラリアより、ハリモグラ、フクロギツネ、ウォンバットなどが到着。
1902明治35年ドイツのハーゲンベック動物園より、ライオン、ホッキョクグマ、ダチョウなど12種を購入し、ライオンはたいへんな人気を博した。
1906明治39年ライオンを京都市紀年動物園へ代価1500円で引き渡す。
1907明治40年ハーゲンベック動物園よりキリンが到着。
1909明治42年テングザル到着。
1911明治44年カバを購入、初渡来。このころ動物園の面積は3ヘクタールほどになる。
1919大正8年 朝鮮の京城(現在のソウル)昌慶苑動物園より、カバのメス“京子”来園。

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2.大正の終わりから昭和のはじめ頃 ── 東京市のもとで

 1923(大正12)年の関東大震災では、正門の門柱が1本倒れたほかは大きな被害がなく、動物も、カバがびっくりして水に潜ったままなかなか出てこないので心配したというぐらいで無事にすみました。
 翌1924(大正13)年に、皇太子殿下(昭和天皇)ご成婚を記念して、上野動物園は上野公園とともに東京市へ下賜され、その頃より園内設備の大改造がおこなわれ、ホッキョクグマ舎やサル山などがつくられました。
 また、春や秋、お正月に、楽しい展覧会や催し物が開かれるようになり、市民にとって最大のレクリエーションの場所として親しまれ、利用者も大幅に増えてきました。

西暦年号おもな出来事
1923大正12年9月1日、関東大震災。翌2日より12月9日まで閉園し、12月10日~25日までの間、無料開園した。ゾウ(オス)を浅草花屋敷へ運ぶ。
1924大正13年皇太子殿下(昭和天皇)ご成婚を記念して、上野公園とともに動物園は東京市に下賜され、上野恩賜公園動物園と呼ばれるようになる。このときから1938(昭和13)年までの15年間に、明治・大正時代の施設はほとんど生まれ変わり、市民の楽しい憩いの場となっていった。
1925大正14年アジアゾウの子ども“ジョン”と“トンキー”が来園。
1928昭和3年園内設備の近代化改造第1弾としてホッキョクグマ舎完成。
1931昭和6年サル山完成(現在のサル山)。

1933昭和8年この年、来日したハーゲンベック・サーカスより、キリン、コンドル、マントヒヒ、フラミンゴなどを購入した。
1935昭和10年タイ国少年団より寄贈のアジアゾウ(メスの“花子”)が到着。
1936昭和11年クロヒョウ脱出事件が発生するが、14時間後に無事捕獲。
1937昭和12年キリンのオスが誕生。日本初。
1939昭和14年中国での戦功動物として、ロバ、モウコノウマ、フタコブラクダなどが到着。そのうちのロバ1頭は、のちの老齢で入れ歯をして有名になった“一文字号”である。
1940昭和15年年間入園者がはじめて300万人を超える。
1941昭和16年12月、太平洋戦争始まる。
1942昭和17年南方軍を経て、マレー・ジョホールのサルタンより、ニルガイ、シマウマなどが到着。

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3.戦中と戦後 ── 戦争の悲劇と平和の復興

 1943(昭和18)年、上野動物園を所管していた東京市は、府と合併して東京都となりました。同年、東京都長官の命令によって、猛獣処分がおこなわれ、この処分により、クマ、ライオン、トラなどの猛獣に加えて、動物園の人気者であるゾウも殺されました。また、このとき処分をまぬがれたカバも、1945(昭和20)年3月の東京大空襲のあと、飼料が途絶したこともあって、処分されてしまいました。
 終戦後は、上野動物園の復興ぶりはめざましく、「動物園は平和そのものである “Zoo is the Peace”」を合言葉に、戦後の混乱でつかれきった人々に、暖かい風を吹き送ることができました。

西暦年号おもな出来事
1943昭和18年夏、ゾウや猛獣が戦時処分される。
1945昭和20年3月、東京大空襲のあと、カバも処分される。8月、終戦。
1946昭和21年「かぼちゃの種子2合」での入園が始まる。
1947昭和22年名称が、東京都恩賜上野動物園となる。
1948昭和23年子ども動物園が開園し、お猿電車が開通。年間入園者が200万人を超える。

1949昭和24年アメリカ・ユタ州ソルトレーク市より贈られたライオン、ピューマ、コヨーテなどが到着。
インドのネール首相からの贈り物、アジアゾウの“インディラ”が到着する。年間入園者が350万人を超える。この年から1951(昭和26)年にかけて、東照宮周辺から不忍池北畔まで園域の大拡張がおこなわれた。

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4.創立70周年祭から大水族館開館まで ── 発展の時代

 1952(昭和27)年におこなわれた創立70周年記念祭は、上野動物園の復興を象徴する催し物でした。1949(昭和24)年からはじまった園域の拡張により、記念祭のときには戦前の4倍もの大きさになり、海水水族館も開館しました。さらに同年夏にはアフリカ産の動物も到着し、動物園は大いににぎわいました。
 そしてこの後、上野動物園にとって発展の時代が到来します。ゴリラの購入とモノレールの開通、いそっぷ橋の開通など大きな事業が重なり、さらに開園80周年を記念して、大水族館(水族爬虫類館)がオープンしました。これによって、上野動物園の飼育動物の数は飛躍的に伸びていきました。

西暦年号おもな出来事
1952昭和27年開園70周年祭が盛大におこなわれ、海水水族館が開館する。夏、アフリカよりカバ、キリン、クロサイ、シマウマ到着。
1957昭和32年モノレールが開通、日本初。ゴリラ来園。
1961昭和36年「いそっぷ橋」完成。名称は一般から募集し、詩人のサトウハチロー氏の審査で決定した。
1964昭和39年大水族館が開設。

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5.大改造計画の進行とパンダの来園 ── 第二世紀への足がかり

 昭和初期の近代化によって建造された諸施設も、この頃には老朽化の様相を示しており、開園100周年を目指して大改造計画が立てられました。
 ゾウ舎完成によって口火が切られ、園内の様相が徐々に変化していくなか、1972(昭和47)年、日中国交回復を記念して、ジャイアントパンダの“カンカン”と“ランラン”が到着し、入園者の数はたちまち増えていきました。1977(昭和52)年には、震災対策に主眼をおいた西園北部地区の改修も開始され、小獣舎を含めた新しい動物舎群がつくられていきました。
 1982(昭和57)年、上野動物園は100周年を迎え、第2世紀へと踏み出しました。

西暦年号おもな出来事
1967昭和42年大改造計画による工事が開始。ゾウ舎が完成。
1972昭和47年日中国交回復を記念して、ジャイアントパンダの“カンカン”と“ランラン”が来園。以後、年間入園者が700万人を超える年が続く。

1977昭和52年西園改造工事、開始。
1979昭和54年ジャイアントパンダのメス“ランラン”死亡。
1980昭和55年1月、ジャイアントパンダの新しいメス“ホァンホァン”来園。6月、ジャイアントパンダのオス“カンカン”死亡。7月、西園改造工事、完成。"
1982昭和57年3月20日、開園100周年記念式典を挙行。11月、ジャイアントパンダのオス“フェイフェイ”が北京動物園より来園。
1984昭和59年アジアゾウのメス“アーシャー”と“ダヤー”が来園。
1986昭和61年6月、ジャイアントパンダのメス誕生。12月に“トントン”と命名されて一般公開。名前募集には27万通を超える応募があった。

1988昭和63年6月、ジャイアントパンダのオス“ユウユウ”が誕生。
1989平成元年10月、開園100周年記念事業の葛西臨海水族園が開園。

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6.100周年以降 ── 変貌をとげる上野動物園

 1970年代以降、動物園は希少動物の種の保存が重要な役割と認識されるようになり、東京都でも1989(平成元)年より、都立動物園が分担して飼育繁殖に取り組む「ズーストック計画」を開始しました。これにより、動物たちの福祉に配慮した広い飼育繁殖施設として、「ゴリラ・トラの住む森」、両生爬虫類館(ビバリウム)、「ゾウのすむ森」、「クマたちの丘」などがオープンしました。
 2011(平成23)年4月には、ジャイアントパンダ(2頭)を約3年ぶりに公開。同年10月には、広い放飼場を備えた「ホッキョクグマとアザラシの海」もオープンしました。

西暦年号おもな出来事
1991平成3年ズーストック計画にもとづき、ライオンを多摩動物公園に移動。
1992平成4年11月、ジャイアントパンダの“リンリン”が到着し、“ユウユウ”が北京動物園に行く。
1996平成8年4月、「ゴリラ・トラの住む森」オープン。

1999平成11年両生爬虫類館(ビバリウム)オープン。

2000平成12年7月、ニシローランドゴリラ“モモコ”がオスを出産。“モモタロウ”と命名され、10月より公開。7月、ジャイアントパンダの“トントン”死亡。
2001平成13年マダガスカルより、アイアイ、ハイイロジェントルキツネザルが到着。11月、共同繁殖計画にもとづき、ジャイアントパンダの“リンリン”がメキシコ・チャペルテペック動物園に貸し出される。"
2002平成14年インドライオンの展示を開始。ニシローランドゴリラ“モモコ” “モモタロウ”親子が千葉市動物公園に帰る。
2003平成15年12月、メキシコ・チャペルテペック動物園より、ジャイアントパンダのメス“シュアンシュアン”が来園。共同繁殖計画のため、2005(平成17)年まで滞在した。
2004平成16年「ゾウのすむ森」完成。
2005平成17年サポーター資金による展示改善で、「カワウソチューブ」、カナダヤマアラシの展示場が完成。
2006平成18年「クマたちの丘」オープン。
12月、ニホンツキノワグマ“クー”冬眠に成功。

2007平成19年新フラミンゴ舎オープン。タロンガ動物園よりニシローランドゴリラのオス“ハオコ”来園。
2008平成20年ジャイアントパンダのオス「リンリン」死亡。インドネシア・タマンサファリからスマトラトラのメス“マニス”来園。
2009平成21年ヒガシクロサイの“アルゴ”初出産、メスの“ミミカ”誕生。「アイアイのすむ森」オープン。ニシローランドゴリラの“モモコ”がメスを出産、“コモモ”と命名。
2010平成22年天然記念物の下北半島のニホンザルの展示を始める。フォッサ日本初公開。
2011平成23年ジャイアントパンダの“リーリー”と“シンシン”が来園。東日本大震災の影響で、3月17日より31日まで閉園し、4月1日の再開とともにジャイアントパンダも公開。「ホッキョクグマとアザラシの海」オープン。

2012平成24年開園130周年記念イベント。ジャイアントパンダのペアリング、出産するが7日で死亡。

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