上野動物園について
目指す姿
目指す姿
日本を代表する動物園として引き続き日本をリードし、「生きた博物館」として、希少種や特徴的な種をバランスよく展⽰し、
こどもから大人まで楽しみ学べる総合動物園
特徴
特徴
上野動物園は、東京の都心部にありながら自然とその景観を維持している都市型の動物園で、約300種3,000点の動物を飼育しています。
東園は巨樹が鬱蒼とした上野公園の丘陵地に位置しており、ゴリラ・トラのすむ森、ゾウのすむ森、クマたちの丘、ホッキョクグマとアザラシの海などがあります。
西園は、ハスが茂り島が点在する風光明媚な不忍池北側の区域で、キリン、カバ、サイ、ハシビロコウ、アイアイなどアフリカ産の動物、小獣館、両生爬虫類館、家畜動物が中心の子ども動物園などがあります。
2020年9月には新しい施設「パンダのもり」がオープンしました。
上野動物園の歴史
上野動物園の歴史
上野動物園は、1882年(明治15年)に農商務省所管の博物館付属施設として開園した、日本で最初の動物園です。1886年(明治19年)には宮内省所管になり、1924年(大正13年)には皇太子殿下(昭和天皇)のご成婚を記念して、東京市に下賜されました。
第2次大戦中には、猛獣処分と呼ばれる悲しい出来事がありましたが、これまで上野動物園は「生きた博物館」として世界各地から集まったさまざまな動物を展示してきました。
また、都立動物園でありながら、日本を代表する動物園としても機能しており、1972年(昭和47年)には、日中国交回復を記念しジャイアントパンダが来園し、大変なにぎわいを見せました。
上野動物園は、多くの動物において繁殖に成功しており、その長い年月で培ってきた飼育技術を活かして、様々な動物の魅力的な展示に取り組み、また多くの方々に楽しんでいただきながら、野生生物保全の重要性を伝えています。
明治から大正へ ── 宮内省の博物館のもとで
明治から大正へ ── 宮内省の博物館のもとで
1882年(明治15年)、上野公園に博物館が開かれ、その付属施設として上野動物園は開園しました。
この博物館は、ウィーンの万国博覧会へ出品するために日本全国から集められた物産を、一般の人々の「開智」のために公開されたのがはじまりであったので、動物園に集められたものも日本産の動物が主体でした。
さらにその所管が農商務省であったために、「勧業奨励」に力が入れられ、家畜が展示に加えられました。
1886年(明治19年)に宮内省所管となってからは、トラをはじめ外国産の珍しい動物が集められました。
また、外国の王室からの贈物や、日清日露両戦役での戦利品などが宮内省に献上され、数多くの動物が展示されるようになりました。
1882 明治15年
3月20日、博物館附属の動物園として開園。
面積1ヘクタールほど。所管は農商務省。
9月、日本最初の水族館、観魚室を公開。「うをのぞき」として親しまれた。
1886 明治19年
所管が宮内省になる。
1887 明治20年
イタリアのチャリネ曲馬団より、神田・秋葉原で興行中に生まれたトラを、ヒグマと交換で入手。初来園。
1888 明治21年
清国より贈られたシフゾウ(四不像)来園。
シャム皇帝より贈られたアジアゾウのペア初来園。
1890 明治23年
このころより園内に洋燈(ランプ)がつく。
1895 明治28年
日清戦争の戦利品として、フタコブラクダが到着。
初来園。
1898 明治31年
オランウータン初来園。
1900 明治33年
オーストラリアより、ハリモグラ、フクロギツネ、ウォンバットなどが到着。
1902 明治35年
ドイツのハーゲンベック動物園より、ライオン、ホッキョクグマ、ダチョウなど12種を購入し、ライオンはたいへんな人気を博した。
1906 明治39年
ライオンを京都市紀年動物園へ代価1500円で引き渡す。
1907 明治40年
ハーゲンベック動物園よりキリンが到着。
1909 明治42年
テングザル到着。
1911 明治44年
カバを購入、初渡来。
このころ動物園の面積は3ヘクタールほどになる。
1919 大正8年
朝鮮の京城(現在のソウル)昌慶苑動物園より、カバのメス“京子”来園。
大正の終わりから昭和のはじめ頃 ── 東京市のもとで
大正の終わりから昭和のはじめ頃 ── 東京市のもとで
1923年(大正12年)の関東大震災では、正門の門柱が1本倒れたほかは大きな被害がなく、動物も、カバがびっくりして水に潜ったままなかなか出てこないので心配したというぐらいで無事にすみました。
翌1924年(大正13年)に、皇太子殿下(昭和天皇)ご成婚を記念して、上野動物園は上野公園とともに東京市へ下賜され、その頃より園内設備の大改造がおこなわれ、ホッキョクグマ舎やサル山などがつくられました。
また、春や秋、お正月に、楽しい展覧会や催し物が開かれるようになり、市民にとって最大のレクリエーションの場所として親しまれ、利用者も大幅に増えてきました。
1923 大正12年
9月1日、関東大震災。翌2日より12月9日まで閉園し、12月10日~25日までの間、無料開園した。
ゾウ(オス)を浅草花屋敷へ運ぶ。
1924 大正13年
皇太子殿下(昭和天皇)ご成婚を記念して、上野公園とともに動物園は東京市に下賜され、上野恩賜公園動物園と呼ばれるようになる。
このときから1938年(昭和13年)までの15年間に、明治・大正時代の施設はほとんど生まれ変わり、市民の楽しい憩いの場となっていった。
1925 大正14年
アジアゾウの子ども“ジョン”と“トンキー”が来園。
1927 昭和2年
園内設備の近代化改造第1弾としてホッキョクグマ舎完成。
翌年公開。
1932 昭和7年
サル山完成(現在のサル山) 。
※従来1931年(昭和6年)完成ともされてきましたが、再調査の結果、1932年(昭和7年)10月に完成したことが判明しました。
1933 昭和8年
この年、来日したハーゲンベック・サーカスより、キリン、コンドル、マントヒヒ、フラミンゴなどを購入した。
1935 昭和10年
タイ国少年団より寄贈のアジアゾウ(メスの“花子”)が到着。
1936 昭和11年
クロヒョウ脱出事件が発生するが、14時間後に無事捕獲。
1937 昭和12年
キリンのオスが誕生。
日本初。
1939 昭和14年
中国での戦功動物として、ロバ、モウコノウマ、フタコブラクダなどが到着。
そのうちのロバ1頭は、のちの老齢で入れ歯をして有名になった“一文字号”である。
1940 昭和15年
年間入園者がはじめて300万人を超える。
1941 昭和16年
12月、太平洋戦争始まる。
1942 昭和17年
南方軍を経て、マレー・ジョホールのサルタンより、ニルガイ、シマウマなどが到着。
戦中と戦後 ── 戦争の悲劇と平和の復興
戦中と戦後 ── 戦争の悲劇と平和の復興
1943年(昭和18年)、上野動物園を所管していた東京市は、府と合併して東京都となりました。
同年、東京都長官の命令によって、猛獣処分がおこなわれ、この処分により、クマ、ライオン、トラなどの猛獣に加えて、動物園の人気者であるゾウも殺されました。
また、このとき処分をまぬがれたカバも、1945年(昭和20年)3月の東京大空襲のあと、飼料が途絶したこともあって、処分されてしまいました。
終戦後は、上野動物園の復興ぶりはめざましく、「動物園は平和そのものである “Zoo is the Peace”」を合言葉に、戦後の混乱でつかれきった人々に、暖かい風を吹き送ることができました。
1943 昭和18年
夏、ゾウや猛獣が戦時処分される。
1945 昭和20年
3月、東京大空襲のあと、カバも処分される。
8月、終戦。
1947 昭和22年
6月、名称が東京都恩賜上野動物園となる。
不足していた飼料を集めることを目的に「かぼちゃの種子1合」で入園する取組みもおこなわれた。
1948 昭和23年
子ども動物園が開園し、お猿電車が開通。
年間入園者が200万人を超える。
1949 昭和24年
アメリカ・ユタ州ソルトレーク市より贈られたライオン、ピューマ、コヨーテなどが到着。
インドのネール首相からの贈り物、アジアゾウの“インディラ”が到着する。
年間入園者が350万人を超える。
この年から1951年(昭和26年)にかけて、東照宮周辺から不忍池北畔まで園域の大拡張がおこなわれた。
創立70周年祭から大水族館開館まで ── 発展の時代
創立70周年祭から大水族館開館まで ── 発展の時代
1952年(昭和27年)におこなわれた創立70周年記念祭は、上野動物園の復興を象徴する催し物でした。
1949年(昭和24年)からはじまった園域の拡張により、記念祭のときには戦前の4倍もの大きさになり、海水水族館も開館しました。さらに同年夏にはアフリカ産の動物も到着し、動物園は大いににぎわいました。
そしてこの後、上野動物園にとって発展の時代が到来します。ゴリラの購入とモノレールの開通、いそっぷ橋の開通など大きな事業が重なり、さらに開園80周年を記念して、大水族館(水族爬虫類館)がオープンしました。これによって、上野動物園の飼育動物の数は飛躍的に伸びていきました。
1952 昭和27年
開園70周年祭が盛大におこなわれ、海水水族館が開館する。
夏、アフリカよりカバ、キリン、クロサイ、シマウマ到着。
1957 昭和32年
モノレールが開通、日本初。
ゴリラ来園。
1961 昭和36年
「いそっぷ橋」完成。
名称は一般から募集し、詩人のサトウハチロー氏の審査で決定した。
1964 昭和39年
大水族館が開設。
大改造計画の進行とパンダの来園 ── 第二世紀への足がかり
大改造計画の進行とパンダの来園 ── 第二世紀への足がかり
昭和初期の近代化によって建造された諸施設も、この頃には老朽化の様相を示しており、開園100周年を目指して大改造計画が立てられました。
ゾウ舎完成によって口火が切られ、園内の様相が徐々に変化していくなか、1972年(昭和47年)、日中国交回復を記念して、ジャイアントパンダの“カンカン”と“ランラン”が到着し、入園者の数はたちまち増えていきました。1977年(昭和52年)には、震災対策に主眼をおいた西園北部地区の改修も開始され、小獣舎を含めた新しい動物舎群がつくられていきました。
1982年(昭和57年)、上野動物園は100周年を迎え、第二世紀へと踏み出しました。
1968 昭和43年
ゾウ舎が完成。
1972 昭和47年
日中国交回復を記念して、ジャイアントパンダの“カンカン”と“ランラン”が来園。
以後、年間入園者が700万人を超える年が続く。
1977 昭和52年
西園改造工事、開始。
1979 昭和54年
ジャイアントパンダのメス“ランラン”死亡。
1980 昭和55年
1月、ジャイアントパンダの新しいメス“ホァンホァン”来園。
6月、ジャイアントパンダのオス“カンカン”死亡。
7月、西園改造工事、完成。"
1982 昭和57年
3月20日、開園100周年記念式典を挙行。
11月、ジャイアントパンダのオス“フェイフェイ”が北京動物園より来園。
1984 昭和59年
アジアゾウのメス“アーシャー”と“ダヤー”が来園。
1986 昭和61年
6月、ジャイアントパンダのメス誕生。
12月に“トントン”と命名されて一般公開。
名前募集には27万通を超える応募があった。
1988 昭和63年
6月、ジャイアントパンダのオス“ユウユウ”が誕生。
1989 平成元年
10月、開園100周年記念事業の葛西臨海水族園が開園。
100周年以降 ── 変貌をとげる上野動物園
100周年以降 ── 変貌をとげる上野動物園
1970年代以降、動物園は希少動物の種の保存が重要な役割と認識されるようになり、東京都でも1989年(平成元年)より、都立動物園が分担して飼育繁殖に取り組む「ズーストック計画」を開始しました。
これにより、アニマルウェルフェアに配慮した広い飼育繁殖施設として、「ゴリラ・トラのすむ森」、両生爬虫類館(ビバリウム)、「ゾウのすむ森」、「クマたちの丘」などがオープンしました。
2011年(平成23年)4月には、ジャイアントパンダ(2頭)を約3年ぶりに公開。
同年10月には、広い放飼場を備えた「ホッキョクグマとアザラシの海」もオープンしました。
1991 平成3年
ズーストック計画にもとづき、ライオンを多摩動物公園に移動。
1992 平成4年
11月、ジャイアントパンダの“リンリン”が到着し、“ユウユウ”が北京動物園に行く。
1996 平成8年
4月、「ゴリラ・トラのすむ森」オープン。
1999 平成11年
両生爬虫類館(ビバリウム)オープン。
2000 平成12年
7月、ニシローランドゴリラ“モモコ”がオスを出産。
“モモタロウ”と命名され、10月より公開。7月、ジャイアントパンダの“トントン”死亡。
2001 平成13年
マダガスカルより、アイアイ、ハイイロジェントルキツネザルが到着。
11月、共同繁殖計画にもとづき、ジャイアントパンダの“リンリン”がメキシコ・チャペルテペック動物園に貸し出される。"
2002 平成14年
インドライオンの展示を開始。
ニシローランドゴリラ“モモコ” “モモタロウ”親子が千葉市動物公園に帰る。
2003 平成15年
12月、メキシコ・チャペルテペック動物園より、ジャイアントパンダのメス“シュアンシュアン”が来園。
共同繁殖計画のため、2005年(平成17年)まで滞在した。
2004 平成16年
「ゾウのすむ森」完成。
2005 平成17年
サポーター資金による展示改善で、「カワウソチューブ」、カナダヤマアラシの展示場が完成。
2006 平成18年
「クマたちの丘」オープン。
12月、ニホンツキノワグマの冬眠展示に成功。
2007 平成19年
新フラミンゴ舎オープン。
タロンガ動物園よりニシローランドゴリラのオス“ハオコ”来園。
2008 平成20年
ジャイアントパンダのオス「リンリン」死亡。
インドネシア・タマンサファリからスマトラトラのメス“マニス”来園。
2009 平成21年
ヒガシクロサイの“アルゴ”初出産、メスの“ミミカ”誕生。
「アイアイのすむ森」オープン。
ニシローランドゴリラの“モモコ”がメスを出産、“コモモ”と命名。
2010 平成22年
天然記念物の下北半島のニホンザルの展示を始める。
フォッサ日本初公開。
2011 平成23年
ジャイアントパンダの“リーリー”と“シンシン”が来園。
東日本大震災の影響で、3月17日より31日まで閉園し、4月1日の再開とともにジャイアントパンダも公開。
「ホッキョクグマとアザラシの海」オープン。
2012 平成24年
開園130周年記念イベント。
ジャイアントパンダのペアリング、出産するが7日で死亡。
2013 平成25年
ニシローランドゴリラの“モモコ”が第3子となるメスを出産、“モモカ”と命名。
ジャイアントパンダの“シンシン”に妊娠の兆候があらわれたが、偽妊娠と判定。
105年ぶりにハリモグラを展示。
2014 平成26年
管理事務所が3月10日に西園へ移転、耐震化のため6月23日に動物園ホールを閉鎖し解体。
ハワイ・ホノルル動物園所有のスマトラトラのオス“ケアヒ”がブリーディングローンにより来園。
2015 平成27年
西園施設整備のため8月18日から弁天門を一時的に閉鎖
2016 平成28年
耐震化工事が本格化。
表門の使用を4月1日から8月8日まで一時的に停止し、工事期間中は旧正門を臨時門として使用。
東園無料休憩所を4月1日から閉鎖。
アジアゾウの“ウタイ”が妊娠するが流産。
2017 平成29年
ジャイアントパンダのシンシンがメスを出産、“シャンシャン”と命名。
ニシローランドゴリラのモモコがオスを出産、“リキ”と命名。
子ども動物園が移転して「子ども動物園すてっぷ」としてリニューアルオープン。
2018 平成30年
表門の改修工事のため仮設表門を使用開始。
希少動物の保全のため、アメリカのホワイトオーク保護センターからオカピのオス“バカーリ”が、みさき公園からスマトラトラのオス“ブラン”が来園。
2019 平成31年・令和元年
保護・増殖のため2015年から飼育を開始した日本産ライチョウを3月から一般公開。
入園窓口における入園券・年間パスポート購入時のクレジットカード及び電子マネー決済導入開始
モノレール運行休止~シャトルバス運行開始
2020 令和2年
キリン「ヒカリ」誕生
東園無料休憩所及び「さるやまキッチン」オープン
ジャイアントパンダ「リーリー」と「シンシン」が東園パンダ舎から西園「パンダのもり」へ引越し
アジアゾウ「アルン」誕生
2021 令和3年
ジャイアントパンダの双子誕生 、「シャオシャオ」「レイレイ」と命名
オンライン決済による入場券 「オンラインチケット」の販売を開始
日本初となる人工授精によるニホンライチョウの誕生
2022 令和4年
ジャイアントパンダの双子 一般公開を再開
ニシローランドゴリラの「モモコ」が「スモモ」出産
環境省より「希少種保全動植物園等」に認定
2023 令和5年
ジャイアントパンダ「シャンシャン」返還
スマトラトラの「ミンピ」が「アサ」を出産
スマトラトラの「ミンピ」が「アロナ」「アバディ」「マクムル」を出産
2024 令和6年
ジャイアントパンダ「シャオシャオ」と「レイレイ」の展示を個別展示に変更
日本初 野生のニホンライチョウから精液採取と人工繁殖に成功
ジャイアントパンダ「リーリー」と「シンシン」返還
サル山で飼育していたニホンザルの展示を中止
2024 令和7年
オガサワラオオコウモリを45 年ぶりに公開
コビトカバの「ナツメ」が「コブシ」を出産
戦後80年企画「動物園からつなぐ平和のバトン」を実施

