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アフリカゾウ「タマオ」急逝──2006/08/09

 2006年8月8日(火)、多摩動物公園のアフリカゾウ「タマオ」(推定38歳)が死亡しました。国内最高齢のオスでした。

 日中、放飼場で倒れて体を打ったタマオは、治療を施す間もなく、午後2時25分、呼吸を停止しました。現在、死因を詳しく調べるために病理検査中ですが、外傷性ショックと思われます。

●アフリカ生まれのタマオ
 タマオはアフリカで生まれた個体です。1971年、アフリカゾウ輸入のために多摩動物公園から派遣された職員が、タンザニアの飼育場にいた推定3歳のオスを日本につれて帰りました。
 ケニアのモンバサ港に移動し、貨物船「平洋丸」でアフリカを発ったのは1971年7月9日。シンガポール寄航後、8月7日夜、横浜港に停泊しました。最初は荒れていたゾウも、同船した職員の手から餌を食べ、触っても攻撃しなくなったそうです。

●多摩動物公園到着
 多摩動物公園への到着は8月9日でした。体重は540kg。公募の結果、名前は「タマオ」と決まりました。ちなみに、うちわでの愛称は、「ヨッペイ」。「ヨーヘイ」とも呼ばれていたようです。由来は──アフリカから乗ってきた船名↑の転回形。
 放飼場で、先輩のメス2頭、アコとマコ(1967年7月21日来園)と初めて一緒にしたときは、姉さんゾウを追いかけていたそうです。その後、アコとマコと一緒にした際に、マコにうしろから押されて、空堀に落ちるというハプニングも。

●マストを迎えたタマオ
 飼育担当者は、ゾウに対する調教やしつけを通じて、主従関係というよりも“心を通じ合わせる”関係を築いていきます。しかし、オスは性質の荒くなる「マスト」という時期を迎えるようになり、温和な状態と攻撃的な状態を繰り返します。
 タマオが飼育係に激しい攻撃を見せるようになったのは1987年、タマオ19歳の夏でした。とくに子ゾウのときから飼育を担当していた職員への攻撃は激しかったそうです。このタマオのマストをきっかけに、多摩動物公園では、人間がゾウのそばについて飼育する「直接飼育」から、ゾウに柵越しに接する「間接飼育」へと方針を転換したのでした。

●新ゾウ舎への移動
 1990年ごろには体重は6トンに達したタマオは、放飼場の扉や柵を曲げるなど、ヤンチャぶり全開。しかし、その後完成した新アフリカゾウ舎への移動に際しては、マコが馴れない環境に不眠におちいったり、アコが警戒心から籠城したり、メス2頭に手を焼いたにもかかわらず、タマオはあっさりと移動してくれたのでした。
 おとなのオスゾウは群れをつくらず、1頭で見知らぬ場所に進んでいけるといわれています。タマオにもそうした精神的な強さがあったのかもしれません。このときのタマオのようすを担当者は、「『さすが男の中の男!』と思わず拍手をしてしまいました」と書いています(東京動物園友の会の機関誌「どうぶつと動物園」1995年7月号)。

●第1子パオの誕生
 1996年2月26日には、姫路セントラルパークから14歳のメス「アイ」が、多摩動物公園に来園。6月から同居を始めたタマオとアイは相性がよく、7月3日には初めての交尾が確認されました。タマオ6.8トン、アイ2.6トンの頃でした。7月中に6回の交尾を経て、1998年4月25日夜、多摩動物公園でアフリカゾウが初めて誕生!(アフリカゾウの妊娠期間は約22か月といわれています。)パオと名づけられたこのオスは、2001年10月17日に富士サファリパークに旅立ちました。

●第2子マオ
 1999年6月には、メスの「チーキ」が富士サファリパークから来園。
 そして、2002年6月13日、タマオは再びアイとのあいだに子どもをもうけました。生まれたメスの「マオ」は、2006年6月13日、盛岡市動物公園に向けて出発しました(マオ輸送のようすは、輸送大作戦[1]輸送大作戦[2]のニュースと、ビデオニュースをごらんください)。

 体重7トンを超えたタマオは、堂々した体躯と立派な牙を誇るオスでした。タマオ亡き後、多摩動物公園のアフリカゾウは、アコ、マコ、アイ、チーキのメス4頭となりました。

写真上:最近のタマオ
写真下:来園当時のタマオ(推定3歳)

(2006年8月9日)



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