水槽に潜って作業していたときのことです。「カチッ、カチッ、カチッ……」と、小石をぶつけあうような音が水中に響いてきました。水槽の下の方に手を伸ばしていくと、体長10センチほどの魚が、私の手の甲に何度も突進してきては、小さな口で噛みついてきます。
こんなことは、ふだんまずありません。「さては?」と思ってよく観察すると、いちばん大きなサンゴイソギンチャクのそばの岩肌に「あるもの」が……。
──これは葛西臨海水族園の東京の海エリア「伊豆七島3」水槽でのお話です。「あるもの」とは、じつはクマノミが産んだ小さな卵の塊でした。卵はとても小さく、直径2~3ミリほどで、初めは鮮やかなオレンジ色をしています。このクマノミの卵がサンゴイソギンチャクのそばの岩肌にびっしり産みつけられていたのです。
現在、水槽にはクマノミが6尾います。いちばん大きな個体はメス。このメスは、水槽内でいちばん大きなサンゴイソギンチャクを縄張りとしており、水槽内の「ボス」です。このボスが、次に大きい個体であるオスとペアになり、産卵したのです。
クマノミはおもにオスが卵を世話するといわれています。水槽の中でもオスが卵に向かって新鮮な海水を口から吹きかけたり、胸びれを動かして水を送ったり、いそがしく世話をするようすが観察できます。ところが、ボス(メス)も意外に働き者のようで、オスとおなじく卵の世話をしています。
この夫婦はふだんから、自分たちより小さな魚が縄張りに近づいてくると追い払うことがあるのですが、子育て時期に入ると、自分たちよりはるかに大きな敵にも立ち向かっていくようです。
私が耳にした「カチッ、カチッ、カチッ……」という音も、縄張りに近づいた巨大な私に向かって「それ以上、近づくな!」と歯を噛み鳴らして発した威嚇音だったのです。私は威嚇に気づかず、そのまま卵に接近してしまいました。クマノミたちは、大切な卵に近づいてきた巨大な手の甲に対し、捨て身の覚悟で果敢にアタックしてきたのでしょう。それだけ、わが子への愛情が深く大きいということでしょうか。
今回の繁殖期に入って産卵はこれで4回目です。2~3週の間隔をおいて、毎回ほぼ同じ場所で産卵が繰り返されています。ぜひ葛西臨海水族園の「伊豆七島3」水槽までおいでください。タイミングが合えば、クマノミ夫婦が小さな卵を必死に世話するようすが観察できるかもしれませんよ!
※写真中央のオレンジ色の部分が卵。向かって右にいるメス(ボ
ス)は、胸びれを動かして卵に新鮮な海水を送っている。
※過去のニュース
ふしぎなクマノミの社会 (2003年02月21日)
イソギンチャクといれば安全?クマノミ(2006年09月08日)
【動画】葛西の特設展「クマノミのお話」
(2006年12月から2007年03月まで開催)
〔葛西臨海水族園飼育展示係 田辺信吾〕
(2010年01月19日)