1882年に開園した上野動物園に園長制度がしかれたのは1937年3月1日。正式な「動物園長」に初めて就任したのが古賀忠道でした。平和への願いをこめて、上野動物園だけでなく、日本各地の動物園の発展に尽くしたその功績はひろく知られています。
生誕 100年をむかえた今年、古賀忠道の功績をたたえ、故人を偲んで記念展示を開催します。
会期は2003年11月11日(火)から12月7日(日)まで。会場は、西園動物園ホール1階にある「ズーポケット」です。写真や解説パネルの展示、記録フィルムの上映をおこないます(フィルムは1回5分、終日上映)。
上野動物園園長・菅谷博が展示によせたことばから一部引用します。
古賀忠道生誕 100年を迎えた今、世界に未だにある内乱や国際紛争に巻き込まれた動物園の悲惨な状況をみるにつけ、「ZOO IS THEPEACE」 という古賀の言葉は一層の重みをまします。この展示を通して「平和への願い」が私達動物園人にとって掛け替えのない思いであることを多くの方々に感じていただければ幸いです。
●古賀忠道略歴
1903年(明治36年)12月4日佐賀県に生まれる。1928年(昭和3年)東京帝国大学農学部獣医学科(現東京大学)を卒業と同時に、東京市公園課に就職し、上野恩賜公園動物園に勤務するようになる。
1936年のクロヒョウ脱出事件を契機に、動物園に園長職がないことが見直され、翌1937年3月1日、園長制度がしかれ、正式な「動物園長」に就任。
戦後は、1946年に映画館「かもしか座」の開設、1948年には子供動物園の開園、おサル電車の開通など、子どもたちへの明るい贈りものの開発に心をつくす。
1949年、インドのネール首相よりアジアゾウの「インディラ」が贈られ、1950年はインディラを中心とした移動動物園を実施する。
1962年、創立80周年記念祭を最後に退職。退職後は、財団法人東京動物園協会理事長に就任するとともに、国際自然保護連合(IUCN)日本委員会の委員長をつとめ、ついで世界野生生物基金(WWF)日本委員会の設立に奔走した。
1986年4月25日、永眠。
写真上:欧米視察(1951年)
写真下;日本に到着し、上野動物園に向かうインディラと古賀忠道園長(1949年、芝浦埠頭)