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上野公園150周年と上野動物園
 └─ 2023/05/09
 2023年は、上野公園の開園150周年にあたります。上野公園は1873年に芝公園や飛鳥山公園などとともに、日本で最初の都市公園として誕生しました。このあたりは江戸時代に広大な境内を持つ寛永寺が造営されたのですが、幕末の戊辰戦争でその大部分は焼失してしまいます。跡地には病院が建設される予定でしたが、明治政府の「お雇い外国人」だったオランダ人医師のボードワン(ボードウィンとも表記)博士の「都心部に自然を残すべき」という提言により、上野恩賜公園となったのです。


公園内のボードワン博士像

 上野公園の特徴は、1000万人以上の人々がくらす都市の中心部に豊かな自然があることと、博物館や美術館など文化施設が集中していることです。世界的に見てもこれだけ博物館施設が集中しているのは、東京の上野公園とワシントンのスミソニアン博物館群くらいだろうといわれています。

 上野地区に文化施設が集中しているのは、明治政府がここで何度も博覧会を開催したことが関係しています。湯島聖堂博覧会(1872)で収集・展示された資料は現在の東京国立博物館の基礎となりましたし、内国勧業博覧会(1877、1881)で集められた動物を飼育する施設として上野動物園が開園したのは、上野公園開園から9年後の1882年でした。

 上野公園の文化施設は連携した活動もおこなっており、上野動物園にとってもっとも関係が深いのは国立科学博物館でしょう。動物園で飼育している動物が死亡した場合、その多くは国立科学博物館に引き取られて骨格標本や剥製標本となり、研究や教育のために使われます。明治のころから続いているその関係は、現在開催中の国立科学博物館企画展「科博の標本・資料でたどる日本の哺乳類学の軌跡」でも知ることができます。


死後、国立科学博物館に引き取られて骨格標本となったアジアゾウの「インディラ」
(国立科学博物館展示室内にて撮影)

 ジャイアントパンダがタケをつかむことができるのは、手首部の親指側にある骨の突起「第6の指」のためといわれていましたが、国立科学博物館の遠藤秀紀えんどうひでき博士(現・東京大学博物館)は1997年に死亡したジャイアントパンダの「ホァンホァン」の前足をCTスキャンで撮影し、手首の小指側にある「第7の指」を発見しました。

 上野公園の豊かな自然は、動物園にも大きな恩恵をもたらしてくれます。公園内の樹木の枝が伐採された際は、動物園で受領してキリンやサル類などのえさとして活用しています。台風などで大きな枝が折れたときは、加工して動物舎内のとまり木や遊具として使うこともあります。また、公園内には竹林もあり、毎年4~5月に動物園に隣接する東照宮で採れた新鮮なタケノコをもらってきてジャイアントパンダに給餌するのも、公園と動物園のつながりといえるでしょう。


タケノコを食べるジャイアントパンダ「シンシン」

 今年は上野公園150周年で、公園や文化施設で多くの記念活動が予定されています。上野動物園ともども、ぜひお楽しみください。

〔上野動物園調整係〕

(2023年05月09日)



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