催し物
驚かされた一匹のクロアゲハ
 └─多摩  2016/09/24

 2016年8月31日、多摩動物公園昆虫園の飼育担当職員がクロアゲハのメスを園内で採集しました。ところが、6本あるはずの脚が採集時にはすでに左前脚1本しかありません。採卵用のケージに入れましたが、採卵どころか飼育さえ難しいのではないかと思われました。

 しかし、天気が回復した休み明けの9月3日、採卵用の鉢植えミカンを見てほんとうに驚いてしまいました。何枚かのミカンの葉に合計77個の卵が産みつけられていたのです。

 アゲハ属のチョウは、食草を探して産卵する際、まず幼虫のえさになるミカン科の植物を目で探し出すため、広範囲を飛びまわります。ヒトは3原色にもとづく視覚をもっていますが、アゲハは桁外れに多くの色彩を識別できると思われる5原色の視覚を使って、ミカン科の植物を効率よく探しすようです。

 それらしい木が見つかったら、味がわかる前脚を使って木の葉に「産卵誘発物質」があるかないかを調べ、ミカン類かどうかを確かめます。その後、アゲハの中でもクロアゲハやナガサキアゲハのように大型で重たいアゲハは、ホバリングしながら脚で葉につかまり、腹を曲げ、多くの場合はつかまった葉の裏側に卵を産みつけます。

 脚が1本しかないクロアゲハを産卵ケージに入れた際、産卵に関する一連の行動だけでなく、花や蜜皿から蜜を吸ったり、葉や網につかまって休息したりするなど、生きていくために必要な行動をとることも難しそうに思えました。

 ところがそれは、まったくの杞憂でした。この個体は卵を産みつけようとする葉のひとつ上にある葉に左前脚1本でつかまり、ホバリングしながらその下の葉に産卵していたのです。

上の葉につかまりながら下の葉に産卵するクロアゲハ。羽ばたきながら左前脚で葉につかまっている下の葉に産みつけられた卵。産みつけやすい位置には何度も産卵するため、卵が何重にもなっている

 このため、つかまる葉と産卵する葉がうまくセットになっている葉には、40個ほどの卵が集中して産みつけられていました。産卵ケージの天井からぶら下がって休んでいる姿を見ると、脚が全部ある個体と区別がつかず、とても左前脚1本でぶら下がっているとは思えないほどです。

天井で休息するクロアゲハ。金網の上に敷いてある遮光ネットに左前脚の「ツメ」をかけてぶら下がっている蜜皿からハチミツを吸うクロアゲハ。左前脚を前に伸ばし、左右の翅で体を支えている

 蜜皿から薄めたハチミツを飲むときは、ホバリングしながら蜜皿に胴体着陸すると同時に、左前脚を前に伸ばして蜜皿のスポンジにツメを引っかけ、さらに左右の翅で蜜皿を抑えるようにして体を支えています。

 結局、この個体は10日間で204個の卵を産み、9月9日に死亡しました。採集時には翅がすれていて、羽化後少なくても1週間は経過していたと思われるので、このクロアゲハは寿命をまっとうできたのだと思います。

 5本の脚を失い、左前脚しかないこのクロアゲハを見ていると、達成が困難に見えることでもやり方次第で実現が可能であり、また、何事も最後まで絶対にあきらめてはいけないという思いに強く駆られます。

〔多摩動物公園昆虫飼育展示係 櫻井博〕

(2016年09月24日)


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